連濁の歴史 (2006/4/13)
- 連濁における濁音は、もともと音素的に独立してはいなかった(そのため「いろは歌」などでは仮名に濁点を付ける必要がなかった)。しかし音素的に独立していないということは「音」として存在しないということではない。同じ音素の異音として、対応する清音と「相補分布」の関係を持ちながら共存していたということに過ぎない。(異音としての濁音はこのように完全に予測可能だったので、仮名に濁点を付ける必要がなかったのである。)
- ところが濁音は(言語接触などにより)音素的に独立してしまった。それ以来連濁は異音変異ではなく音素交替の性格を帯びるようになり、「発音を楽にする」古くからのニーズと「音素を正しく弁別する」新たなニーズの狭間にあって、それまでの「相補分布」の規則性が期待できなくなってしまう。そして濁点を使わない仮名表記も不便なものとなる。
- このようにみると、連濁の辿った歴史は古くからのニーズ(保守の力)が新たなニーズ(改革の力)に押され続けてきた歴史であった、と言えることになる。すると「比叡山=ザン」は保守のニーズの現れ、「富士山=サン」は改革のニーズの現れであろうか。
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