Thursday, March 25, 2010

「形態素」とは

  • 時間的に前後関係のあり得る言語音声要素の最小で「対立」するものを「音素」(phoneme) と呼び、それぞれの「音素」が具体的に見せる異なった音声的側面をそれぞれの「異音」(allophone) と呼ぶが、「音素」の組み合わせが何かの「意味」(または文法機能)を持つ場合、そのような組み合わせの最小で「対立」するものが「形態素」(morpheme) で、それぞれの「形態素」が具体的に見せる異なった音声的側面が「異形態」(allomorph) である。ひとつの言語における「音素」の数は一定で、せいぜい20 とか 30 とかであろうが、「形態素」の数は恐らくどんな字引でも網羅仕切れないほど大である(と同時に絶えず増減している)。
  • 「対立」する(=重要なポイントが「違う」)とは、「音素」に関する限りでは、単に「違う形態素を作ることができる」ことであるが、「形態素」については、「対立」するとは、「聴覚的(および視覚的)形状の背後にある重要な何かが違う」ことで、比較的微妙である。つまり「対立」の条件となる「重要なポイント」は意味や文法機能のみならず、「語源」などをも考えねばならない。(とは言え「意味が違う」が第一の決め手であることは否定できない)
  • たとえば英語の bow という視覚形状は 『弓』を意味する /bow/ と『お辞儀をする』を意味する /baw/ の二つの聴覚形状を持つ。何よりもそれぞれ意味が違うことにより、視覚形状は同一でも「形態素」は二つであって一つでないことは明白である。ところが日本語の『山』という視覚形状にはサン、ザン、セン、ヤマと四種の聴覚形状があるが、どれも英語の mountain に当たる同一の意味しかない。では関わりのある形態素は一つだけかと言えば、そうではなく、三つあるとせねばならない。すなわち「サン・ザン」「セン」「ヤマ」の三つである。何故ならば意味は一応同じと考えられても、それぞれ語源が違うからである。(「サン・ザン」はいわゆる漢音、「セン」はいわゆる呉音、「ヤマ」は言うまでもなく訓読、そしてサン・ザンはそれぞれ『山』を漢音で音読する場合の「異形態」)
  • 因みに、「翻訳」という行為が成立できるのは、意味が一応は同じでも語源が違うために対立する形態素が世に存在するからである。たとえば英語の one と日本語の『一』は、同じことを意味する(のみならずアラビア数字による同じ視覚形状を持つ)。だが語源が違うから、もちろん「異形態」ではなく、二つの形態素である。したがって『一』を one と言い換える翻訳行為が成立する。(つまり『山』をめぐる「サン」と「ヤマ」の言い換えは翻訳だが、「サン」を「ザン」と言い換えても翻訳にならない)

Tuesday, March 16, 2010

漢音と呉音

  • 日本語の漢字「音読」(「訓読」と区別される)は、大きく分けて、「漢音」と「呉音」のどちらかである。一言で言えば、「漢音」とは奈良・平安時代に遣唐使などが持ち帰った新しい「音読」で、「呉音」とはそれまでの古い「音読」である。
  • このような命名は、勿論新しい読み方が生まれてからのもので、「漢音」の「漢」は、『(いにしえの)漢の時代よりの(尊重すべき)正統(とされる)』を意味し、「呉音」の「呉」は、『(勢力抗争に敗れて)南の呉の地方に生き残った(尊重に値しない)非正統』を意味する、とそれぞれ理解せねばならない。(「尊重すべき」は「学習に値する」意味になることに注意)
  • 読み方の違いは「韻母」(シラブルの先頭子音を除いた部分)に多く見られるが、「声母」(先頭子音)によるもの(たとえば鼻音性の有無などによるもの)や、「声母」と「韻母」が共に異なるものもあり、完全且つ簡単な一般化は難しい。次の各例の一つ目が漢音、二つ目(赤で表示)が呉音(いずれも現代仮名表記による写し)。括弧内は関連熟語。

「韻母」が違う

家:カka(家庭)   ケke(家来)
礼: レイrei(礼儀)  ライrai(礼賛)
名:メイmei(姓名)  ミョウmyou(本名)
功:コウkou(功労) クku(功徳)
金:キンkiN(金貨)  コンkoN(金剛石)
言 : ゲンgeN(言語学) ゴンgoN(言語道断)
有:イウiu・ユウyuu(有益) ウu(有無)
一:イツitu(統一) イチiti(第一)

「声母」が違う

人:ジンziN(人生)  ニンniN(人間)
万:バンbaN(万国)  マンmaN(万年)
大:タイtai(大敵)  ダイdai(大地)

「声母」と「韻母」が共に違う


平:ヘイhei(平安)  ビョウbyou(平等)
図:トto(図書)   ヅdu・ズzu(図画)