「形態素」とは
- 時間的に前後関係のあり得る言語音声要素の最小で「対立」するものを「音素」(phoneme) と呼び、それぞれの「音素」が具体的に見せる異なった音声的側面をそれぞれの「異音」(allophone) と呼ぶが、「音素」の組み合わせが何かの「意味」(または文法機能)を持つ場合、そのような組み合わせの最小で「対立」するものが「形態素」(morpheme) で、それぞれの「形態素」が具体的に見せる異なった音声的側面が「異形態」(allomorph) である。ひとつの言語における「音素」の数は一定で、せいぜい20 とか 30 とかであろうが、「形態素」の数は恐らくどんな字引でも網羅仕切れないほど大である(と同時に絶えず増減している)。
- 「対立」する(=重要なポイントが「違う」)とは、「音素」に関する限りでは、単に「違う形態素を作ることができる」ことであるが、「形態素」については、「対立」するとは、「聴覚的(および視覚的)形状の背後にある重要な何かが違う」ことで、比較的微妙である。つまり「対立」の条件となる「重要なポイント」は意味や文法機能のみならず、「語源」などをも考えねばならない。(とは言え「意味が違う」が第一の決め手であることは否定できない)
- たとえば英語の bow という視覚形状は 『弓』を意味する /bow/ と『お辞儀をする』を意味する /baw/ の二つの聴覚形状を持つ。何よりもそれぞれ意味が違うことにより、視覚形状は同一でも「形態素」は二つであって一つでないことは明白である。ところが日本語の『山』という視覚形状にはサン、ザン、セン、ヤマと四種の聴覚形状があるが、どれも英語の mountain に当たる同一の意味しかない。では関わりのある形態素は一つだけかと言えば、そうではなく、三つあるとせねばならない。すなわち「サン・ザン」「セン」「ヤマ」の三つである。何故ならば意味は一応同じと考えられても、それぞれ語源が違うからである。(「サン・ザン」はいわゆる漢音、「セン」はいわゆる呉音、「ヤマ」は言うまでもなく訓読、そしてサン・ザンはそれぞれ『山』を漢音で音読する場合の「異形態」)
- 因みに、「翻訳」という行為が成立できるのは、意味が一応は同じでも語源が違うために対立する形態素が世に存在するからである。たとえば英語の one と日本語の『一』は、同じことを意味する(のみならずアラビア数字による同じ視覚形状を持つ)。だが語源が違うから、もちろん「異形態」ではなく、二つの形態素である。したがって『一』を one と言い換える翻訳行為が成立する。(つまり『山』をめぐる「サン」と「ヤマ」の言い換えは翻訳だが、「サン」を「ザン」と言い換えても翻訳にならない)
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